教員採用試験の倍率だけを見ていても、教員不足は解決しない

未分類

「受験者減・辞退増・現場不安」の三重苦

教員不足をめぐるニュースが、また一つ積み重なっってしまったようです。

高知県で、2027年度採用の公立学校教員採用試験の応募状況が発表されました。報道によれば、小学校・中学校・県立学校を合わせた応募者数は1128人。前年度より248人少なく、倍率は4.8倍だったといいます。数字だけを見れば「4.8倍なら、まだ競争率はあるではないか」と思う人もいるかもしれません。しかし、同じ報道では、2026年度採用の小学校教員が117人にとどまり、目標の130人に届かなかったことも伝えられています。背景には、教員のなり手不足に加え、合格者の辞退が相次いでいるという現実もありそうです。

ここで重要なのは、「倍率が何倍か」だけでは、もはや教員確保の実態を十分に説明できなさそうだ、ということです。

かつて教員採用試験の倍率は、教育行政や世論にとって分かりやすい指標でした。倍率が高ければ、優秀な人材を選べる。倍率が低ければ、なり手不足が深刻である。そうした見方は今でも一定程度は有効でしょう。しかし現在の教員不足は、単に「受験者が少ない」という話ではありません。受験者が減り、合格者が辞退し、臨時的任用教員や非常勤講師の候補者も減り、産休・育休や病休の代替者も確保しにくくなる悪循環に陥っているように思います。つまり、入口から年度途中の補充まで、人材供給のあらゆる段階で詰まりが起きているのではないでしょうか。

文部科学省が公表した令和7年度「教師不足」に関する実態調査は、この構造をかなりはっきり示唆しています。文科省は「教師不足」を、臨時的任用教員等を確保できず、実際に学校に配置されている教師数が、各教育委員会が学校に配置することとしている配当数を満たしていない状態と定義しています。つまり、単なる将来不安ではなく、学校現場にすでに欠員が生じている状態です。

同調査によると、2025年5月1日時点で、学校に配当されている教員定数に対する教師不足は、全体で3827人、不足率0.45%だったようです。校種別では、小学校1699人、中学校1031人、高等学校508人、特別支援学校589人というデータがあります。特に注目すべきは、特別支援学校の不足率が0.71%と相対的に高いことでしょうか。また、令和3年度調査では全体の不足数が2065人、不足率0.25%だったため、単純比較すれば不足数そのものも大きく増えていることになりそうです。

もちろん、この数字は「全国の教員が数千人しか足りない」という軽い話ではありません。文科省自身も、義務標準法に基づく公立小中学校の教員定数分は全国平均では充足していると説明しています。それにもかかわらず、実際の学校では欠員が出てしまっている‥ここに、教員不足問題の分かりにくさがあるような気もします。

国の定数上は足りているように見えても、各自治体が実際に必要とする配置、学校ごとの事情、特別支援学級の増加、産休・育休、病休、年度途中の退職、臨時講師登録者の減少などが重なると、学校現場では「明日の授業を誰が担当するのか」という問題が起きてしまいます。教育行政の資料上の充足と、学校現場の体感としての不足は、同列に考えてはいけません。

今回の記事で強調したいのは、教員不足を「採用試験の倍率低下」だけで語る段階は、もう終わっているということです。ただ、このことは現場レベルではかなり前から言われていたことでもあります。SNSでは現場の悲鳴とも言える投稿が散見されました。

教員不足は「採用広報」の失敗ではなく職業設計の失敗

各自治体は、採用試験の早期化、複数回実施、大学3年生受験、社会人特別選考、説明会の強化、動画配信、SNS発信など、さまざまな工夫を進めています。これらの取り組み自体は必要なのかもしれません。教員志望者に早く接触し、民間企業との人材獲得競争に対応することは避けられない側面もあるでしょう。

しかし、ここで考えなければならないのは小手先の対策ではどうにもならないということではないでしょうか。

採用試験を早めれば、教員志望者は増えるのか。説明会を増やせば、合格者は辞退しなくなるのか。SNSで魅力を発信すれば、講師登録者は戻ってくるのか。

もちろん、一定の効果はあるのかもしれません。だが、それだけでは根本的な解決にはならないでしょう。なぜなら、いま起きているのは「教員という仕事を知らないから志望しない」という問題だけではなく、「教員という仕事を知っているからこそ、ためらう」という問題だからです。

文科省の資料では、教師不足の要因として、近年の大量退職等に伴う採用拡大、若手教師の増加に伴う産育休取得者の増加、特別支援学級の増加、教育環境の変化に応じた指導体制の充実などにより、臨時講師を含む教師需要が増加していることが示されているようです。一方で、採用拡大によって従来なら臨時講師を担っていた既卒者が正規採用されるようになったことや、民間企業との競争の中で教師のなり手が減っていることも指摘されています。

これは非常に重要な観点です。

教員不足は、「教員志望者を増やせば解決する」という単純な問題ではありません。需要が増え続けている一方で、供給を支えてきた臨時講師層や既卒受験者層が細っている。さらに、若手教員が増えれば、ライフイベントに伴う代替需要も増える。特別支援学級が増えれば、より専門性の高い人材も必要になる。つまり、学校現場は以前より多くの人手と専門性を必要としているのに、その供給源は弱くなってしまっています。

この構造を変えないまま採用試験だけを工夫しても、限界が来ます。というか、既に来ています。

たとえるなら、穴の開いたバケツに水を注ぎ続けているようなものでしょう。採用広報を強化することは、水を注ぐ量を増やすことに他なりません。しかし、職場環境への不安、長時間労働、部活動負担、保護者対応、若手への過重な責任、給与制度への不満、研修・支援体制の弱さといった穴がふさがらない限り、水はこぼれ続けてしまいます。

教員採用の危機は、広報の危機ではありません。職業設計の危機なのです。今までも散々言われ続けていたと思いますが、今回は同じような報道がまだまだ続いているので今までの流れを整理する意味でも書かせてもらっています。

「受かったけれど行かない」という選択の重さ

教員採用試験をめぐって、近年ますます重要になっているのが「辞退率」ではないでしょうか。

倍率が一定程度あっても、合格者が辞退すれば、採用予定人数は満たせません。かつて話題にした高知県の報道でも、合格者の辞退が相次ぎ、2026年度採用の小学校教員が目標に届かなかったことが伝えられています。これは一自治体だけの特殊な問題ではありません。多くの自治体にとって、合格者を出すことと、実際に教壇に立ってもらうことの間に、以前より大きな距離が生まれています。

なぜ辞退が起きるのか。

理由は一つではないでしょう。民間企業の内定を選ぶ人もいるでしょう。地元以外の自治体に合格してそちらを選ぶ人もいるでしょう。特に採用選考の日程が重なっていない地域では、模試代わりに他の自治体を受験する人もいるはずです。他には大学院進学や家庭の事情もあるでしょう。しかし、教育界隈が見落としてはいけないのは、教員という仕事に対する不安が辞退の判断に影響している可能性ではないでしょうか。ここが本丸のはずです。

学生や社会人は、学校現場の情報を以前より多く持っています。SNSには教員の長時間労働やメンタル不調、保護者対応、部活動指導、管理職との関係、若手教員の苦悩が流れています。報道でも、教員不足や働き方改革の遅れが繰り返し取り上げられています。教育実習や学校ボランティアで現場を知った結果、「やりがいはあるが、自分が長く続けられる仕事なのか」と考える人もいます。

つまり、辞退は単なるわがままではありません。教員という職業に対する市場からのフィードバックになっているのではないでしょうか。

教育行政は、このフィードバックを正面から受け止める必要があります。「最近の若者は安定した公務員を選ばなくなった」「民間企業に取られている」と嘆くだけでは不十分です。民間企業に人材を取られているのだとすれば、なぜ取られるのかを考えなければなりません。初任給なのか。働き方なのか。勤務地なのか。成長環境なのか。管理職の支援なのか。休みやすさなのか。将来のキャリアパスなのか。列挙を始めてこれだけの要素がパッと思いついてしまうだけでも異常なのかもしれません。しかも、どれか一つではなく、複数の要素も重なっているはずです。

教員採用試験は、もはや自治体が一方的に人を選ぶ場ではありません。志願者もまた、自治体と学校を選んでいます。特に都市部では私立学校の存在もあるでしょう。尤も、私立学校は私立学校で常勤講師問題など別の問題を抱えている学校も少なくはないのですが‥

そもそも、教員という仕事に対する認識の転換が必要です。

次期学習指導要領と生成AIは、教員不足をさらに重くする可能性がある

教員不足の議論は、採用や働き方だけに閉じてはならないでしょう。今後の教育内容の変化とも接続して考える必要があります。この10年間だけを見ても、道徳教育や英語教育など、制度の変更が現場に与えてきた影響は小さくありません。

中央教育審議会の教育課程部会では、次期学習指導要領に向けた議論が進んでいます。文科省は教育課程企画特別部会の論点整理を公表し、ポイント資料も作成しています。今後、探究、情報活用能力、個別最適な学びと協働的な学び、生成AIを含むデジタル学習基盤の活用などが、学校現場にさらに求められていくことは間違いないと思われます。事実、私は年度末の出張で、次期学習指導要領について噛んでいるワーキンググループの方の講演を聞く機会がありました。これまで以上に個別最適な学びを強化するような方向性とのことでした。また、別の記事では小学校の算数も数学に名称変更するなど、より一層の体系化などの方向も示されていたと記憶しています。

また、文科省の資料では、OECDの「Digital Education Outlook 2026」に触れながら、生成AIが一人一人に応じた支援の拡張、フィードバックの質の向上、評価の一部自動化を可能にする一方で、児童生徒や教員の主体性を弱めたり、学習過程を省略したりするリスクもあると整理されているようです。重要なのは、生成AIを単なる効率化ツールとしてではなく、教師の専門的判断を支え、能力を拡張するものとして位置付ける視点だと思われます。事実、Google系のコミュニティで実践報告を定期的に紹介してくれるコミュニティもありますが、全教員がそのような取り組みがすぐにできるようになるわけでもないでしょう。

このあたりにも教員不足との緊張関係がありそうです。

新しい教育課程、新しい評価、新しいICT活用、新しい生成AI対応、新しい保護者説明、新しい校務システム。こうした改革は、それぞれ単体で見れば改善されていくことは良いことなのかもしれません。ですが、学校現場に十分な人員と時間がないまま導入されれば、改革は「よい教育」ではなく「新しい負担」になってしまいます。これまでも似たようなことが多々あったからこそ、気になってしまいます。

教育政策はしばしば、未来の理想から語られるように思います。子どもたちに必要な資質・能力を育てる。個別最適な学びを実現する。生成AI時代に対応する。探究的な学びを深める。どれも方向性としては正しいのでしょう。

しかし、その政策を実装するのは誰かといえば、現場の先生たちなのです。

その教師が足りていない。足りていても疲弊している。若手は十分な支援を受けられず、ミドルリーダーは校務と人材育成に追われ、管理職は欠員対応と保護者対応と行政対応に追われている。こうした状態で、次々に新しい教育課題を積み上げれば、教育改革は現場をさらに追い込まれてしまうのではないでしょうか。

生成AIは、教員不足を解決する魔法の杖ではありません。もちろん、頼りになる右腕になる可能性は十分に秘めています。一方で設計を誤れば、教員不足の現場に新たな説明責任とリスク管理を押し付けることにもなりかねません。

だからこそ、これからの教育政策には「実装可能性」の視点も必要なのではないでしょうか。どれだけ理念が美しくても、現場に人と時間がなければ続きません。教員不足の時代における学習指導要領改訂は、「何を新しく入れるか」だけでなく、「何を減らすか」「何を学校外に出すか」「何を専門職や外部人材に任せるか」まで含めて議論すべき段階にきているのかもしれません。

教員不足対策は「入口・定着・代替」の三層で考えるべき?

では、教育界隈は何を提言すべきなのでしょうか。

第一に、採用試験改革の「入口対策」の位置付けを考え直すことから考えてみます。

試験の早期化、複数回実施、社会人選考、大学3年生受験、地域枠、教員養成大学との連携は必要かもしれません。ただ、それらはあくまで入口対策であって、教員不足対策の全体にはなりません。入口だけを広げても、入った人が辞退したり、早期離職したり、疲弊したりすれば、問題は解決しません。また、選考を共通で行う案もありましたが、希望する自治体に明確な差が数値となって現れてきそうな気もします。今までは模試代わりでも受けてもらえていた分がゴッソリ減ってしまうことにもなりかねません。

第二に、若手教員の定着を考えてみます。これが最重要指標だとも思います。

これまで教育行政は、採用者数や倍率を重視してきました。明確に見える数値なのでわからなくもないですが、今後は、採用後3年・5年・10年の定着率、病休率、育休代替の確保状況、若手教員の授業準備時間、校務分掌の負担、部活動負担、メンター制度の実効性を、もっと正面から見るべきだとも思います。

教員不足の本質は、「人が来ない」だけではないでしょう。「来た人が安心して育たない」観点もあるでしょう。若手教員にいきなり担任、部活動、重い校務、保護者対応を重ねる職場は、もはや持続可能ではありません。現場には余裕がどんどんなくなっていて、ここに初任者を育て鍛える余裕はありません。結果的に潰れてしまう人も出てしまいます。

第三に、代替人材の確保の制度の再設計を考えてみます。

産休・育休、病休、年度途中の退職に対応するための臨時講師や非常勤講師が確保できなければ、現場はすぐに行き詰まってしまいます。担任が足りなければ、教務主任や管理職が穴を埋める。教科担任が足りなければ、免許外指導や時間割の組み替えが起きる。結果として、残った教員の負担が増え、さらに病休や離職が増える。この悪循環を断たなければなりません。妊娠を機に産休に入る先生側が申し訳なさそうに休みに入っていくような話には枚挙に暇がありません。本来は新しい命を授かるというお目出度いことなのに、祝う余裕も無いのが現状の学校現場です。

そのためには、退職教員の活用、人材バンクの整備、近隣自治体との広域連携、教員免許保有者への再研修、短時間勤務の柔軟化、特別免許状の活用、外部専門人材の制度的配置などを、本気で進める必要があるのかもしれません。単なる「登録してください」という呼びかけではなく、働きやすい条件、明確な職務範囲、研修、待遇、学校側の受け入れ体制をセットにしなければ、人は戻ってこないでしょう。もちろん、これもやっているといえばやっているのでしょうが、そもそも絶対数が足りていないでしょう。また、抱える問題や責任の大きさ、背景の事情の複雑化も相まって、なかなか手を上げにくいような条件も揃っていそうです。外部専門人材としては弁護士がついたり、警察が常駐したほうがいいのではないかと思ってしまうレベルの連携が不可欠なのではないかと感じてしまう学校も無いわけでもありません。

「学校に全部任せる」時代を終わらせる

教員不足は、学校だけでは解決できません。況や、教育委員会だけで解決できるものでもありません。文科省だけでも解決できませんし、むしろ悪化させている節すら感じてしまいます。社会全体が学校に何を求め、何を学校外で引き受けるのかという問題が根底にありそうです。

部活動、放課後対応、不登校支援、外国籍児童生徒への日本語支援、特別支援教育、ICT管理、生成AI対応、保護者対応、地域連携、いじめ対応、虐待対応、防災、防犯、キャリア教育、金融教育、主権者教育。学校に求められる役割は増え続けています。

だが、教師の数も時間も無限ではありません。

今後の教育改革で最も必要なのは、「学校に何を足すか」ではなく、「学校から何を外すか」の議論なのかもしれません。これは教育の質を下げる話ではありません。むしろ逆で、教師が教師でなければできない仕事に集中するために、学校業務を再設計する必要があるのではないでしょうか。

教師の本務は、子どもの学びと成長に関わる専門的な仕事です。授業をつくる。子どもの理解を見取る。学級や学年の関係性をつくる。評価する。保護者と協力する。困難を抱える子を支える。これらには専門性が必要なはずです。

一方で、すべての事務作業、調査回答、部活動運営、ICTトラブル対応、地域行事の調整、集金、印刷、備品管理まで教師が抱え続ける必要があるのでしょうか。ここを問い直さない限り、教員不足は解決しないと思います。

教育界隈への提言はある意味で明確なのかもしれません。

教員不足対策を「採用人数を増やす政策」から、「教師が続けられる職業に作り替える政策」へ転換するべきなのではないでしょうか。今までも散々「ビルドアンドビルド」と言われ続けてきましたが、ようやく「スクラップ」の必要性に迫られているのかもしれません。

教師を辞める人を責めるな、戻れる道を作れ

この問題にはもう一つの側面を付け加えたい。

教員不足が深刻になると、外野からしばしば「辞める人が悪い」「若い人が根性がない」「知ってて先生になったんでしょ」という意見を見かけます。

辞める人は、教育を裏切った人ばかりではないと思います。自分の人生を守っただけという見方もできそうです。辞退する人も、教職を軽く見たのではない人もいるでしょう。複数の選択肢を比較して、自分にとってより持続可能な道を選んだだけという場合もありそうです。

教育界隈がやるべきことは、辞めた人や辞退した人を責めることではなく、「なぜその選択をしたのか」を丁寧に分析することでしょう。そして、教職から一度離れた人が、数年後に戻れる道を作ることではないでしょうか。一度は教育の道を志したものの、離れたくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、他の道に進んでやっぱり教育はかけがえのない活動だと思ったときに、戻れるきっかけがあることは一定の意義があるように思います。

民間企業を経験した元教員、子育てが一段落した免許保有者、大学院で学び直した人、地域で子ども支援に関わってきた人、ICTや福祉や日本語教育の専門性を持つ人。こうした人たちが、フルタイム正規教員だけでなく、多様な形で学校教育に関われる制度を広げることも一つの対策かもしれません。

「一度辞めたら終わり」ではなく、「また戻れる」「部分的に関われる」「専門性を持って支えられる」職業にする。これが、これからの教員不足対策になりえるでしょう。

教育は国家百年の計とも言われます。そして教員不足は、教育界のみならず国家の危機でもあります。だからこそ、学校という職場を作り替える最後のチャンスなのかもしれません。ピンチをチャンスに変えられれば、失われた30年を40年にしなくても済むのかもしれません。尤も、教育が成果を出すにはかなり時間がかかりそうですが‥

採用試験の倍率を上げることだけを目標にしてはいけない。合格者を逃さないことだけを目標にしてもいけない。目指すべきは、子どもにとっても、教師にとっても、持続可能な学校をつくることのはずです。

教育行政は、教員採用試験の応募者数に一喜一憂する段階から、もう一歩進むべきでしょう。

元の参照記事は採用選考についてだったので、この記事は選考についての議論が多かったかもしれません。しかし、大切なのは「何人受けたか」ではないでしょう。

「なぜ受けなかったのか」
「なぜ受かったのに辞退したのか」
「なぜ採用後に続けられないのか」
「なぜ一度離れた人が戻れないのか」
「なぜ学校にこれほど多くの仕事が積み上がっているのか」

この問いに向き合わない限り、教員不足は続き、気づいた時には取り返しのつかないところまで到達してしまいかねません。

そして、次期学習指導要領、生成AI、探究、個別最適な学びといった新しい教育改革も、現場にとっては希望ではなく負担になってしまい、悪循環に拍車をかけてしまいます。

教員不足の時代に必要なのは、教師を増やす政策である以上に、教師を消耗させない政策なのではないでしょうか。教育界隈は今こそ、採用試験の倍率ではなく、教師という職業の持続可能性を考えて欲しいです。これは一教員としての願望も半分入っていますが、急務だとも感じます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました