- 外国人政策を教育現場から考える――共生の前提となる入口管理
- 外国人労働者は257万人、1年間で約27万人増えている
- 最近の外国人犯罪報道を「たまたま」で片付けてもよいのか
- ただし、「外国人の犯罪率は○倍」と簡単には言えない
- だからこそ「犯罪を犯した外国人を厳しく罰する」だけでは遅い
- 国民健康保険の「収納率63%」は、軽視も誇張もすべきではない
- 学校の8万4759人という数字は、入国政策の結果でもある
- 「外国人を入れないと日本経済が回らない」は本当に前提なのか
- 欧州では「受け入れれば後で統合できる」という発想が修正されている
- 日本は、まだ制度設計を選べる段階にいる
- 公立学校は「外国人政策の最後の調整弁」ではない
- 支援が必要な子どもを守るためにも、入口管理が必要ではないか
- 「共生」の前に、「受け入れ」を政治が決める
外国人政策を教育現場から考える――共生の前提となる入口管理
2026年8月28日、文部科学省は「秩序ある共生社会の実現に向けた日本語教育支援総合パッケージ」を公表しました。
日本語指導が必要な児童生徒への支援を強化し、プレスクールやプレクラスを整備する。日本語指導員や専門人材を配置する。オンラインを活用する。地域の日本語教育も充実させる。すでに日本で生活している子どもたちの教育を考えれば、必要な政策はあるでしょう。
しかし、今回の資料を読みながら、どうしても一つ引っかかるところがあります。
それは、「どう受け入れるのか」という議論はかなり進んでいるのに、「そもそも、どの程度まで受け入れるのか」という議論は、これまで十分に行われてきたのだろうかということです。
日本語指導が必要な子どもが増えれば、日本語指導員が必要になります。保護者への通訳も必要になります。学校制度を説明する資料も必要になります。教員研修も必要になります。当然、そのための税金も必要になります。
それぞれの施策だけを見れば、必要性は理解できます。
ただ、外国人の受け入れを拡大し、その結果として必要になった教育・福祉・医療・治安などの費用を、後から一つずつ追加していく方法が、本当に持続可能なのかは考えなければならないのではないでしょうか。
教育現場にとって日本語指導問題は「入口」ではありません。すでに国の人口政策、労働政策、在留政策によって人が入ってきた後に現れる、かなり下流の問題です。
であれば、学校現場の負担を軽減する最も上流の政策の一つは、支援制度を増やすことだけではなく、国が外国人受け入れの規模そのものを適切に管理することなのではないでしょうか。
外国人労働者は257万人、1年間で約27万人増えている
まず、受け入れの規模を確認しておきたいと思います。
厚生労働省によれば、2025年10月末時点の外国人労働者は257万1037人となり、前年から26万8450人増えました。増加率は11.7%で、外国人雇用状況の届出が義務化された2007年以降、過去最多です。
国籍別ではベトナムが約60万6000人、中国が約43万2000人、フィリピンが約26万1000人となっています。
もちろん、外国人労働者が日本社会を支えている現実はあります。
介護、建設、製造、外食、宿泊など、人手不足の深刻な業界では、外国人がいなくなれば業務が成り立たない企業もあるでしょう。高度人材や研究者、技術者など、日本にとって積極的に来てもらいたい人材もいます。
ここを無視して「外国人は全員入れなければよい」と考えるのは現実的ではないのかもしれません。(そもそもきちん賃金上昇が行われて、日本人が就業できて生活できるように経済成長していればこの議論も必要ないのかもしれませんが。)
ただし、「人手不足だから外国人を増やす」という説明だけで、毎年数十万人規模の増加を当然の前提にしてよいのかは別問題でしょう。
人手不足には、賃金、労働環境、生産性、機械化・自動化、日本人の就労促進、産業構造そのものなど、多くの要因があります。
低賃金や厳しい労働条件の仕事に日本人が集まらないから、その条件のまま外国人労働者を入れて維持する。それを続ければ、企業側には労働条件を改善するインセンティブが働きにくくなる可能性もあります。
外国人材を活用するにしても、「何人でも必要なだけ入れる」という話ではなく、業種ごとの必要性、国内人材で補える余地、家族帯同を含めた社会的コストまで考えながら受け入れるべきではないでしょうか。
最近の外国人犯罪報道を「たまたま」で片付けてもよいのか
ここ数か月、外国籍の容疑者による事件報道を目にする機会が増えたと感じている人も多いと思います。
直近では8月25日、東京・中野ブロードウェイの高級時計店から約2億円相当の腕時計4本が盗まれ、チリ国籍の男2人が逮捕されました。報道によると、2人は事件の数日前に日本へ入国しており、事件前には店を下見していたとされています。
こうした事件を一件取り上げて、「だからチリ人は危険だ」と考えることはもちろんできません。
同じように、中国人、ベトナム人、その他の外国人による犯罪が何件報道されたとしても、それだけでその国籍の人全体の犯罪傾向を論じることはできません。ニュースになる事件は重大事件に偏りますし、外国籍であること自体がニュース性を持って報道される場合もあります。
ここは冷静に区別する必要があります、と言っておきましょう。
一方で、「個別事件を一般化してはいけない」ことと、「統計上の変化も見なくてよい」ことは同じではありません。
警察庁が2026年8月27日に確定値へ更新した令和7年の犯罪情勢を見ると、いわゆる「来日外国人」の総検挙件数は2万5480件でした。前年の2万1794件から3686件、16.9%増えています。総検挙人員も1万2170人から1万2777人へ増加しました。
刑法犯についても検挙件数・検挙人員とも前年を上回っています。
さらに、刑法犯全体の検挙件数に占める来日外国人犯罪の割合は5.9%、検挙人員では3.7%となり、警察庁は令和5年以降3年連続で割合が上昇していると整理しています。
国籍別では、総検挙人員1万2777人のうちベトナムが4167人で32.6%、中国が2062人で16.1%となり、この2か国で約半数を占めています。
これらは無視してよい数字ではないでしょう。
ただし、「外国人の犯罪率は○倍」と簡単には言えない
一方で、ここで一つ重要な注意があります。
警察庁の「来日外国人」という統計には、永住者、永住者の配偶者等、特別永住者などが含まれていません。
したがって、「日本の人口に占める外国人の割合」と「来日外国人犯罪の検挙割合」を単純に並べて、「外国人の犯罪率は日本人の○倍」と計算することは適切ではありません。
年齢構成や男女比、在留資格、滞在期間も異なります。
過去には、このような統計上の違いを補正すると「外国人だから犯罪を犯しやすいとは言えない」という説明も多く行われてきました。それ自体には一定の意味があります。
しかし、その反動で、「外国人犯罪を心配することそのものが偏見である」という方向に議論を封じてしまうのも違うと思います。
最新の警察統計で検挙件数が増えているのであれば、その事実は事実として見るべきです。
さらに、犯罪の「数」だけでなく「質」についても、警察庁は特徴を指摘しています。
令和7年中の来日外国人による刑法犯では、共犯事件の割合が45.3%でした。日本人では11.5%です。住宅対象の侵入窃盗では70.8%、万引きでは31.8%が共犯事件となっており、日本人よりかなり高い割合です。
警察庁自身が、来日外国人犯罪には出身国・地域別に組織化されるものや、複数国籍の構成員が離合集散しながら犯罪を行うもの、海外の指示役から指示を受けて国内で窃盗や詐欺を行う事例があるとしています。
ここは、単に「犯罪率が高いか低いか」という議論だけでは捉えきれません。
短期滞在で入国して犯罪を行い、国外へ逃げる。組織的に窃盗品を国外へ持ち出す。SNSなどを通じて国境を越えた犯罪グループにつながる。
こうした犯罪については、国内で逮捕してから対処するより、入国段階で防ぐことの意味が大きいでしょう。
ただし、国会答弁では、要所要所で「実態を把握していない」「これから把握する」というようなものもありますので、皆さんの肌感覚のほうが実態にあっているかもしれません。行政側も現時点で十分な実態把握ができていない項目がある以上、『統計に表れていないから問題はない』とも言い切れないでしょう。
だからこそ「犯罪を犯した外国人を厳しく罰する」だけでは遅い
日本政府も、この問題への姿勢を変え始めています。
2026年2月の施政方針演説では、一部外国人による違法行為やルールからの逸脱によって、国民に不安や不公平感が生じていることを政府自身が認めました。
その一方で、政府は「ルールを守り、税や社会保険料を納めながら暮らしている大部分の外国人」と問題を起こす外国人を区別しています。
この区別は非常に重要でしょう。
外国籍であることを理由に一律に疑う社会は望ましくありません。一方で、違法行為や制度の悪用について国籍を理由に議論を避ける必要もありません。
日本政府は現在、電子渡航認証制度「JESTA」を導入し、入国前審査を強化する方向に進んでいます。また、「不法滞在者ゼロプラン」、帰化要件の厳格化、外国人の受け入れに関する「量的マネジメント」も含めた基本方針の策定を進めています。
8月7日には、外国人の受け入れの基本的な在り方を検討するワーキンググループも始まりました。
そこで議論されるのは、将来の在留外国人数の推計だけではありません。外国人の増加が社会・経済にどのような影響を与えるのかを分析した上で、受け入れ規模そのものを検討する予定です。
ようやく「入ってきた人をどう支援するか」だけでなく、「どこまで受け入れるのか」が政策課題になり始めたわけです。
教育現場から見ても、この議論は非常に重要ではないでしょうか。
国民健康保険の「収納率63%」は、軽視も誇張もすべきではない
外国人政策でよく取り上げられるもう一つの問題が、税や社会保険料の未納です。
厚生労働省が外国人世帯の収納状況を独自に把握していた約150自治体について集計したところ、外国人世帯に係る国民健康保険料の収納率は63%でした。
同じ自治体の日本人を含む全体の収納率は93%、全国の全体収納率は94%です。
かなり大きな差です。
この数字だけを見れば、「やはり外国人の保険料未納は深刻ではないか」と感じるのは自然でしょう。
ただし、この数字についても注意が必要です。
政府は国会答弁で、これは国籍別の収納状況を把握できた一部自治体の調査であり、全国の外国人全体を代表する数字ではないとしています。そのため「外国人の国保納付率が全国的に日本人を大幅に下回っていることが明らかになった」とまでは言えない、というのが政府の正式な説明です。
ここも両方を見た方がよいでしょう。
一部自治体では明確に大きな差が確認されている。しかし、全国統計として一般化できる段階ではない。
問題がないとも言えないし、「外国人の4割が踏み倒している」と全国に広げて断定することもできないわけです。
政府もすでに対策を始めており、海外から入国した初年度について自治体が国保料を前納させられる仕組みを整備しました。また、2027年6月からは国民健康保険料の納付情報を在留審査に活用できるよう、自治体と出入国在留管理庁との情報連携を進める予定です。
これは当然の方向ではないでしょうか。
日本人であれ外国人であれ、制度を利用するなら負担すべきものは負担する。その基本原則を在留制度と連動させることは、差別というより制度の公平性を守るための措置でしょう。
一方で、「外国人が日本の医療を大量に使っている」という言説については慎重さも必要です。厚労省資料では、国保の総医療費に占める外国人の割合は1.39%、高額療養費支給額では1.21%で、政府は全国的な傾向として外国人の診療実績が被保険者割合に比べて特に大きいとは言えないとしています。
払っていない人への対策と、医療費を使い過ぎているという議論は分けて考えた方がよさそうです。
とはいえ、このような数字は把握されているだけ、という側面もあるのは怖いところかもしれません。外国人への生活保護の支給の問題、不妊治療が外国人にも適用される件などは昨今話題に上がることも多いですね。日本では保険適用で安く高度な医療が受けられるから日本に来た、というような報道は、20年以上前のNHKのクローズアップ現代で報道されていましたね。日本人の税金や社会保険料にただ乗りされかねない現状は早くどうにかして欲しいところです。
学校の8万4759人という数字は、入国政策の結果でもある
そして教育現場です。
2025年度、日本語指導が必要な児童生徒は、外国籍・日本国籍を合わせて8万4759人となりました。
この子どもたちが学校にいる以上、教育を放棄することはできません。
子ども自身が日本への移住を決めたわけではない場合も多いでしょう。目の前にいる子どもを、「国の移民政策に反対だから支援しない」という話にするのは違います。
一方で、この8万4759人という数字が、自然現象のように突然生まれたわけでもありません。
外国人労働者を受け入れる。家族帯同を認める。在留期間が長くなる。定住者が増える。当然、その家族の子どもも日本の学校に入ります。
そこには日本語指導員が必要になります。母語支援員が必要になります。保護者への翻訳も必要になります。教育委員会の職員も必要になります。進路支援も必要になります。
公立学校なら、その大部分は公費です。
もちろん、教育に税金を使うこと自体を否定しているわけではありません。
問題は、その費用が外国人受け入れ政策を決める段階で十分に計算されていたのかということです。
「人手不足だから外国人労働者を入れる。その人の家族が来る。学校では日本語指導が必要になるので教育予算を増やす」
これでは、外国人労働者を受け入れることで企業が得る利益と、社会全体が後から負担する費用が別々になってしまいます。
企業が労働力として外国人を必要とするのであれば、受け入れに伴う日本語教育、生活支援、家族への情報提供などについて、企業側にも一定の責任を求める議論があってよいのではないでしょうか。
「外国人を入れないと日本経済が回らない」は本当に前提なのか
この議論をすると、必ず出てくるのが「少子化なのだから外国人なしでは日本経済は回らない」という意見です。
確かに、人手不足は深刻です。
外国人労働者257万人が突然いなくなれば、影響は非常に大きいでしょう。
しかし、だからといって「今後も増やし続けなければならない」と自動的に結論づける必要はありません。
受け入れる職種を限定する。人数に上限を設ける。賃金水準や技能要件を引き上げる。社会保険料や税の納付状況を在留更新に厳格に反映する。犯罪や重大なルール違反については在留継続を厳しく判断する。家族帯同についても、住宅、所得、日本語習得など一定の条件を求める。
つまり「外国人を受け入れるか、ゼロにするか」の二択ではなく、どのような外国人を、何人、どの条件で受け入れるのかを管理することができます。
日本政府が現在「量的マネジメント」という言葉を使い始めているのも、この発想に近いでしょう。
受け入れ人数を政治が決めず、市場の人手不足だけで増え続ける状態の方が、むしろ政策として無責任ではないでしょうか。
最近はAIの発展も目覚ましいものがあり、フィジカルAIやロボットの発展も話題に上がることも増えてきました。
欧州では「受け入れれば後で統合できる」という発想が修正されている
海外の状況も見ておく必要があります。
日本とは歴史も制度も異なるため、欧州の移民問題をそのまま日本へ当てはめることはできません。
また、「ヨーロッパは移民政策の失敗を認めた」と一括りにするのも正確ではありません。各国で政治状況も、移民の構成も、難民制度も異なります。
ただし、少なくとも受け入れ拡大を当然とする政策から、人数の抑制、帰還促進、条件厳格化へ転換している国があることは事実です。
象徴的なのがスウェーデンでしょう。
スウェーデン政府は2026年1月から、自発的に母国などへ帰還する一定の在留資格者に対する帰還支援金を大幅に引き上げました。
18歳以上では最大35万スウェーデン・クローナ、夫婦などでは最大50万クローナ、一世帯では最大60万クローナです。
単純換算で数百万円規模のお金を支払ってでも、自発的な帰還を促す制度を強化しているわけです。
スウェーデン政府自身も、現在の政策として、庇護を目的とする移民を持続可能な水準まで減らすこと、社会に統合できていない人々の帰還を促進すること、労働移民や家族移民の条件を厳しくすることを明確に掲げています。
オランダでも2026年の連立政権は、庇護申請者を減らすことを政策目標として掲げ、犯罪を行った庇護申請者への対応を厳格化し、審査や帰還制度を強化する方針を示しています。また、オランダの学者の発表で、移民として受け入れる民族によって、1人あたりが国にもたらす金額を試算したデータもありますね。
移民の財政上の貢献「出身地で差」「第2世代は下がる」 論争呼ぶオランダ発の論文
https://www.sankei.com/article/20260121-W2EUZ6NMMZLWFFJEUYDSA3U24Q/
ドイツでも、安全な出身国の指定や退去・送還制度を含む移民政策の厳格化が進められています。
これらの国々が「外国人そのものを否定している」と見るのは単純過ぎます。
むしろ、大量の受け入れを進めた後で、住宅、福祉、治安、統合、教育など複数の問題が顕在化し、受け入れた後に対応するだけでは限界があるという政策的な修正が進んでいると見る方が近いのではないでしょうか。
日本が学ぶべきなのは、特定の国の強硬策をそのまま真似することではありません。
「問題が起きた後に対策費を投入するより、受け入れ段階で規模と条件を管理する方がよい」という点です。
日本は、まだ制度設計を選べる段階にいる
日本は欧州各国とは条件が異なります。
だからこそ、今の段階で議論する意味があります。
すでに外国人労働者は257万人です。在留外国人全体も増加しています。日本語指導が必要な児童生徒も増えています。国保の収納問題も議論されています。警察庁統計では来日外国人犯罪の検挙件数も増加しています。
それでも、今から受け入れ政策を見直すことはできます。
必要な専門人材は積極的に受け入れる。人手不足業種については、国内の待遇改善や自動化で対応できる部分を先に検討する。その上で不足する人数について受け入れ枠を設定する。
在留更新では、税、社会保険料、重大な違法行為などを厳格に確認する。
短期滞在ではJESTAなどを使い、犯罪歴や不審な渡航歴などを可能な範囲で入国前に確認する。
企業が外国人を大量に雇用する場合には、本人と家族への日本語教育や生活支援について一定の責任を求める。
自治体についても、学校、日本語教育、医療、住宅などの受け入れ可能性を踏まえた人数設計を行う。
こうした仕組みは、外国人排斥とは違います。
むしろ、人数を管理せず受け入れ続け、地域社会や学校が限界に達したところで反発が強まる方が、結果的には排外感情を生みやすいのではないでしょうか。
公立学校は「外国人政策の最後の調整弁」ではない
教育の立場から、最も言いたいのはここです。
国が外国人を受け入れる。その結果として地域に子どもが増える。日本語指導が必要になる。そこで「学校現場の負担軽減のために予算を増やします」という流れだけでは、少し順番が違うように思います。
学校は、国の外国人政策の後始末をする場所ではありません。
日本語が分からない子どもがすでに教室にいるのであれば、その子を支援する必要があります。それは当然です。
しかし、同時に、
「今後さらに同じ状況が増えることを前提として、支援体制だけを拡張し続けるのか」
という議論は別に必要です。
公立学校は税金で運営されています。
教員の時間にも限りがあります。
日本語指導員にも限りがあります。
授業時間にも限りがあります。
外国人児童生徒への対応に追加の人員を配置できないのであれば、その負担は既存の教職員が引き受けることになります。そして、その教職員が使える時間が有限である以上、最終的には他の子どもたちへ向ける時間にも影響します。
だからこそ、日本語指導体制の整備と外国人受け入れ規模の議論は、本来セットであるべきではないでしょうか。
支援が必要な子どもを守るためにも、入口管理が必要ではないか
外国人受け入れを抑制する議論をすると、外国人の子どもへの冷たい態度だと受け取られることがあります。
しかし、必ずしもそうではないと思います。
受け入れ人数が学校や地域の対応能力を超えれば、一番困るのは支援を必要とする子ども本人です。
日本語指導員が足りない。
担任が忙しく十分に話せない。
保護者への説明が追いつかない。
進路情報が届かない。
同級生との関係づくりまで支援する余裕がない。
「共生」という言葉だけ掲げて、人と予算が追いつかなければ、実際の支援は薄くなります。
本当に共生を目指すのであれば、受け入れ可能な人数を考えることは排除ではなく、むしろ制度を持続させるために必要ではないでしょうか。
すでに日本で暮らし、ルールを守り、税や社会保険料を納め、地域社会で生活している外国人まで一括りにして敵視する必要はありません。
政府自身も、問題を起こす一部の外国人と、多くのルールを守る外国人を区別しています。
この区別は守るべきです。
その上で、「外国人一般を批判してはいけない」ということと、「外国人受け入れ政策を批判してはいけない」ということも、明確に分けるべきでしょう。
人を差別しないことと、政策を無制限に受け入れることは同じではありません。
「共生」の前に、「受け入れ」を政治が決める
今回、文部科学省は日本語教育支援を強化しました。
目の前にいる子どもへの対応として必要な部分はあると思います。
しかし、本来政治が先に考えるべきなのは、
「日本社会として外国人をどの程度受け入れるのか」
ではないでしょうか。
労働力として何人必要なのか。
その人たちが長期滞在する場合、家族や教育にはどれだけの社会的費用が必要なのか。
住宅、医療、社会保険、治安、教育など地域社会が受け止められる規模はどこまでなのか。
ルールを守らない場合には、どの段階で在留を認めなくするのか。
企業にはどこまで費用と責任を負担してもらうのか。
こうしたことを決めないまま、「不足しているから入れる」「問題が起きたら予算を付ける」を繰り返すことには限界があります。
海外では、受け入れを拡大した後になって政策を厳格化し、帰還支援に多額の公費を使う国も出ています。
日本が同じ経路をたどる必要はありません。外国人を敵視する必要もなく、必要な人材まで締め出す必要もありません。
ただ、国境を越えた人の移動は、企業の人手不足だけで決める話でもないはずです。
日本は今、政府自身が「量的マネジメント」を検討し始めています。
その議論には、経済的なメリットだけでなく、治安、社会保険、住宅、地域社会、そして学校教育に生じるコストも正面から入れてほしいと思います。
学校現場に日本語指導員を何人増やすかを議論する前に、なぜその人数が必要になるのかを上流まで遡る。
その上で、受け入れると決めた人とその子どもには、きちんとした教育と支援を提供する。
この順番の方が、「秩序ある共生」という言葉にも合っているのではないでしょうか。
日本は、まだ選択できる段階にいるように思います。
だからこそ、問題が大きくなってから「仕方がなかった」と言うのではなく、今のうちに、どのような国として人を受け入れていくのかを議論しておく必要があるのではないでしょうか。
少なくとも、受け入れ政策によって生じる追加的な負担のために、もともと地域で暮らしてきた住民への教育や行政サービスの水準が低下するような制度設計は避けるべきではないでしょうか。

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